脳の見方

1993年12月6日
内容
「ヒトの見方」に続くエッセイ集第2弾。掲載雑誌は多岐に渡る。
養老氏があとがきでも語っているが、この頃は、科学と縁を切った時期と重なる人生のターニングポイントであったと。そのため、エッセイの中には、脳と哲学が上手くミックスされた名作がある。
(ゲーテファウストの今日の意味、モンテーニュと櫻井庄一の孤独)



思想・発言

ユークリッド幾何学における直線は点という解釈は、脳の生理学的機能によるものではないのか。[1]

自然科学者が、脳の余剰(アナロジー)を嫌うのは、それが自然科学の立脚点であるからではないのか。

科学は、元来が原則主義に立つ。原則主義者と議論になれば、非原則主義は必ず負ける。それを救う道は、頑固になることしかない。

哲学はかつて一度、意識せずして「バカの壁」に挑戦し、一度地に塗れた。

ひとの進化における発生過程が分かれば、今後、ひとがどうなるかが分かるヒントになる。

我々は、他人の知識で物知りにはなれるが、少なくとも賢くなるには、自分自身の知恵によるしかない。 

世界でもっとも高い玉座に昇っても、やはり、自分の尻に座っている。

脚注
[1]こういった切り口が、一般には偏見とか論理的ではないと解釈されてしまう要因なんだろうが、個人的には面白いと思う。数学が、端的に脳内過程を問題とするものなので、引き合いは多くされる。未解決難問を抱えていることを考えると、どうも、人間が脳の中で考え出した事象にすぎなく、現実社会とどこか歪が生まれていると思う。
僕が、興味あるのは、ツキ・偶然というものは存在するのではないのかということ。