脳が先か意識が先か

2010年5月22日

思想・発言

人生を意識で考える限り、断続的な線となる。死は、当人にとって見れば、何の問題にもない。
意識が消える度に死んでいるのだから。

・物理学は、意識の中の一部に過ぎない。部分で全体が分かるはずがない。

・同じということ概念は、抽象過ぎて動物には理解できない。だからお金は生まれない。

・違うという概念も抽象過ぎて動物には理解できない。だから話すことができない。

脳とサムシンググレード

2009年11月30日










内容

あの頃はまだ無名だった―若き日の茂木健一郎、竹内薫が、知の巨匠である養老孟司、村上和雄に挑んだ記念碑的作品!地球生命35億年のタイムカプセル“DNA”のヴィジョンさえ乗り超えて、人類の脳はどこまで進化し続けるのか!?その脳を駆り立てるもの―DNAの暗号を書いた“サムシンググレート”とは?!生命の究極の目標を見据えた、かつてなきサイエンス・トーク。

思想・発言

自分の頭と身体で考える

1999年10月4日
古武術と解剖学から世の中を見る

死の発見 ヨーロッパの古層を訪ねて

1996年9月26日
内容
隠された現代の死。歪んだ時代の顔が、「死の鏡」に映る。フランス中世研究の碩学と、文明を解剖する解剖学者。両者の博識を小説家の想像力が結び、現代の意外な断面を発見。ヨーロッパの歴史を解剖する、三酔人警世問答。



思想・発言

脳の見方

1993年12月6日
内容
「ヒトの見方」に続くエッセイ集第2弾。掲載雑誌は多岐に渡る。
養老氏があとがきでも語っているが、この頃は、科学と縁を切った時期と重なる人生のターニングポイントであったと。そのため、エッセイの中には、脳と哲学が上手くミックスされた名作がある。
(ゲーテファウストの今日の意味、モンテーニュと櫻井庄一の孤独)



思想・発言

ユークリッド幾何学における直線は点という解釈は、脳の生理学的機能によるものではないのか。[1]

自然科学者が、脳の余剰(アナロジー)を嫌うのは、それが自然科学の立脚点であるからではないのか。

科学は、元来が原則主義に立つ。原則主義者と議論になれば、非原則主義は必ず負ける。それを救う道は、頑固になることしかない。

哲学はかつて一度、意識せずして「バカの壁」に挑戦し、一度地に塗れた。

ひとの進化における発生過程が分かれば、今後、ひとがどうなるかが分かるヒントになる。

我々は、他人の知識で物知りにはなれるが、少なくとも賢くなるには、自分自身の知恵によるしかない。 

世界でもっとも高い玉座に昇っても、やはり、自分の尻に座っている。

脚注
[1]こういった切り口が、一般には偏見とか論理的ではないと解釈されてしまう要因なんだろうが、個人的には面白いと思う。数学が、端的に脳内過程を問題とするものなので、引き合いは多くされる。未解決難問を抱えていることを考えると、どうも、人間が脳の中で考え出した事象にすぎなく、現実社会とどこか歪が生まれていると思う。
僕が、興味あるのは、ツキ・偶然というものは存在するのではないのかということ。

カミとヒトの解剖学

1992年4月10日
・臨床宗教
・「死」の解剖学
・霊魂の解剖学
・臨床仏教
・隠された身体